離職後 ~1ヵ月目~
会社を辞めて一か月目の生活はこんな感じです。
朝
目覚ましなしで適当に起床する。
食パン焼いて朝食を食べる。
歯磨きをして布団にイン。
横になりながら、ニュースを見ながら再度睡眠する。
昼
起床後、ヒルナンデスを見ながらシリアル等を食べる。
ヒルナンデスを見たらまた眠くなるので睡眠する。
夕方
起床後、録画してあった番組を見る。または、食材の買い出しに出かける。
夕食を作って食べる。(もちろん簡単にできるもの)
夜
TVを見る
YouTubeを見る。
眠くなったら寝る。
こんな生活をひたすら過ごしていました。
失業保険の申請の為ハローワークに出かけたりしましたが、ほとんどこんな感じです。
辞めてから初めて感動したことは、夜に眠くない時に無理して寝なくて良いということです。
会社員時代は、夜眠くなくても早く寝ないと明日の仕事が眠くなって大変という意識があったということに気づきました。
最終出社日の夜は、辞めてやったぞと思っていたので興奮状態にあったのか、全然眠くありませんでした。
いつも寝ている時間になった時に、「もうこんな時間だ、早く寝ないと」と頭をよぎったのですが、「あ、もう明日から行かなくても良いから別に無理して寝なくてもいいんだ」と気づいたときは本当に感動してにやにやしてしまいました。
今も夜は寝たくなった時に寝ています。
ストレス解消になるはずの睡眠も会社員にとってはストレスが溜まる原因になっているのでは、たまったもんじゃありませんよね。
会社員時代は独身寮に住み、いつも疲れていて遊びに行くこともなかったため、貯金がそれなりにできていました。
なので、失業保険が貰えるまでの期間くらいは生活できる計算なので、その間はこの調子でだらだら過ごそうと思っています。
宮沢賢治について
宮沢賢治は
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・」
誰もが一度は聞いたことのある有名な一文から始まる「雨ニモマケズ」を代表作としている詩人です。
他の代表作は「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」などが有名です。
宮沢賢治は病気を患い37歳という若さでこの世を去っています。
また宮沢賢治は生前にほとんど作品を世に出しておらず、没後に彼の才能に気づいていた者たちによって数多くの作品が世に出されたようです。
「雨ニモマケズ」という作品は、闘病中に使用していた手帳に書かれていた詩のようで、当時は家族ですらその存在を知らなかったみたいです。
軽く作品の紹介をします。
「注文の多い料理店」は山奥にある料理店で
客が多い→注文が多い
と想像した客が、想像とは逆に身だしなみを整える用に様々な注文をお店から受けていきます。
最後の注文で体中に塩をたくさん塗り込んでとの注文があり、その客が今までの注文が料理の下準備になっていると気づきます。恐ろしくなっている最中に旅の道中で死んだはずの猟犬が突如表れ、気が付くと何もない山奥で裸で立ち尽くしていたというお話です。
発想も誰もが思いついてもいいものですが、それを思いついて物語にすることが個人的にすごいと思います。
また、言い回しも非常に面白い為、作品に引き込まれていきます。
詳しくはウィキペディアを見てね。。。
葛飾北斎について
今ちょうど葛飾北斎がテレビでやっていたので、北斎について調べてみました。
調べるといえばもちろんウィキペディアさんです。
グーグル先生に葛飾北斎と聞いてみると、出てきます。
とてもボリューミーで読む気が失せました。
さて、葛飾北斎といえば波と富士山が描かれたあの絵ですよね。
それ以外にも生涯で3万点を超える作品を生み出したそうです。
3万点というと1日1作品書いたとすると3万日かかります。
3万日は約82年です。
北斎は90歳まで生きていたらしいので大体毎日作品を生み出したということになりますね。
50歳ぐらいから波の絵を描きはじめて、25年もの間波の絵を描き続けたようです。
そして、完成したのがあの有名な絵です。